使い捨ての漫画家は描く機械なのか?

編集者が作家を使いつぶしていくのには、歴史のある雑誌ほど今まで培ってきた売れるストーリーラインに対するノウハウがあるが故なのでは…と思ったりもするわけで。テコ入れと称して安易なバトル展開や武術大会はジャンプではシャブを打つと呼ばれているようです。
コレに拍車をかけたのがジャンル漫画の台頭でしょうか。
今まではスポーツものといった分類や、野球漫画、ボクシング漫画といった大まかなカテゴリであったものが
グルメ漫画
料理漫画
医療漫画
レスキュー
ギャンブル
ホスト
キャバ嬢
心理戦
将棋
など他誌でヒットした展開をキャラクターを入れ替えただけで後追いする作品が次々産まれ
結局はオリジナルを超える事も無く、可もなく不可もなくそれなりに続いたあげくに特別記憶に残る事も無く消え去っていく
こうなってくると、編集者が雑誌の中でカテゴリ漫画の枠を用意し、作家はそのジャンルをただ描くだけ。こうなってくるとよほどの個性や絵のうまさが無ければ単なる作画マシーンとして編集のいいようにされてしまうのではないでしょうか。


また、持ち込みのときにも異世界バトル物は少年誌では飽和状態にあるので、ただ掲載を望むなら枠の開いているスポーツものをやる方が編集の受けがいいとかと言った戦略まで産まれるようになる訳です。


コレじゃ漫画雑誌がつまらなくなる訳だよな。
今でさえ雑誌が多くて購読する物を厳選する必要があるのに、ほとんどの場合看板漫画以外は流し読みもしないような状態なわけです。
たけくまメモでも

俺から見ても、今年に入ってからのマンガ出版の崩壊ぶりには、目を覆うほどのものがあります。俺は、マンガ雑誌の数が今の半分になり、定価が今の倍になるまでこの状態は続くのではないかと思っています。俺から見ても、今年に入ってからのマンガ出版の崩壊ぶりには、目を覆うほどのものがあります。俺は、マンガ雑誌の数が今の半分になり、定価が今の倍になるまでこの状態は続くのではないかと思っています

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_4da3.html#more

と言われています。最初に読んだときには雑誌が減るのはいいとしても単価が倍になるのはあり得ないだろ…と思いましたが、

よくよく考えてみると週に10冊買っていた雑誌が5冊になって内容が充実するのであれば雑誌の数が減る分読者的には有り難いわけです。

そもそも、作家になりたい人は無数に居るし、変えもきくから君が辞めても幾らでもかわりは居るから辞めたきゃ勝手にすれば…という理屈は通じたのかもしれませんが、教育された編集者の数は有限な罠。編集者が劣化してくれば作品が駄目になるのは必然でしょう。