アニメーターに不躾ながら色々聞いてきた。

http://d.hatena.ne.jp/yoko-sen/20090919/1253386370
作業の細分化や下請けになどによりアニメが工業製品化している…という話が興味深かった
今は作画がちょっと狂ったり設定と似ていなかったりするとすぐにヤシガニとか作画崩壊などと言われるが
昔のアニメは原画や作画の個性が暴走したりして、見ていて楽しかった
今まで漫然と見ていたアニメを始めてすげーって思ったのは確かうる星やつらのモブに大量のアニメキャラのパロディが登場した時。
エンディングの宇宙は大ヘンだ!にあわせてスターウォーズのパロディキャラが暴れたりして、ダイコンフィルムのようなマッドな状態が地上波で放送されていた
ああいうのアリなんだ…と思うとモブにいちいちどこかで見た事あるキャラを探すのが楽しくてしょうがなかった
漫画でもあろひろしなんかがよくモブにアニメキャラかいていた。
アニメ版ダーティーペアのケイソックリの女の子が更衣室で着替えているシーンが忘れられません。
アニメが工業製品になるってことは、作品としては安定はするかもしれないけどどんどん作り手の個性をそぎ落として均質化していくという事に繋がる訳で
安価に大量生産できるかもしれないけど個人的にはどのカットを誰が作ったかわかるような作品がやっぱり好きです
3Dアニメがあまり好きでない理由も同じです
昔はアニメ雑誌でよくアニメーター特集が組まれてたように思いますが、今では皆無に近いですね。金田伊功追悼特集で久しぶりに見た気がします。

まず業界内が閉じこもることで、横の連携がとれていない。

動画・原画はたとえば横のブースで作業しているデジタル班の動きを

把握していない。これが規模が大きくなってスタジオ間の話になっても同じだ。

これは工場で、横のセクションの動きを各々は全く把握していないことに類比される。

既にアニメは工業製品だ。

セルを国内で手で塗っていた時代、セル塗りのお姉さん(彩色は主に女性が担当していた)の仕事がたまってくると、手の空いた作画からセル塗りの手伝いを始め、男女一緒に徹夜作業…
そこでしばしばロマンスが生まれたという話です(ジブリ美術館に昔のアニメスタジオのジオラマが有ってそこでそんなキャプションがありました)
作業がデジタル化、専門家されると手伝いたくてもツールの使い方すらわからない
全員で協力して一つの物を作るのではなく、パーツ単位での作業になるとどうしても出来上がった物に愛着がわいてこないし、作業量当たりの賃金以上の仕事をしようと思わなくなってしまう

つまり各々は、同人アニメをつくるとき、手塚(治虫)さんに戻らなければならない。

いや、もっと状況はシビアといえる。

デジタルが進んだとは言えど、動画原画着彩デジタル編集CG音楽、

これら全てについてプロレベルになければ、商業ラインに乗る作品はつくれない。

アプリケーションの導入コストも習得するまでの期間も個人にはたいへんです。専門学校に入ってソフトの使用方法に関しては習得し、さらにアカデミック版のソフトを安く事前に入手しておかないと現実的な値段にはなりません
手塚方式っていうのは「アニメ制作で発生した赤字を本業の漫画で補填して作る不採算部門」的という事な訳でして…
そもそも国内のアニメーションコンテストの賞金額の低さを考えると一山あてようとするクリエイター志望者は漫画、ゲーム、小説の新人賞に流れていくのは必然かと…
さらに漫画では原作のみ、絵コンテのみという専門別の新人賞まである事を考えると、アニメで優秀な人材を確保するためには
作画だけのアニメを投稿して、入賞したら専門家が背景や彩色、音入れをして完成させてくれる…とかしてくれないと一人で全部出来ないとアニメーション作家になれない…というのでは敷居が高杉ですね(漫画だったら一万円も有れば道具は十分そろいますが、アニメの場合100万円でも足りるかどうか。初期投資と労力に対して賞金額が低すぎです)
せめて賞金が少なくても副賞としてプロ声優のキャスティング権がある…とかだったらもっとこう人が集まるかもしれないなあ〜と思ったり思わなかったり
個人でアニメ作る…という野望の最短コースはもしかしたら手塚治虫でなく大友克彦や士郎正宗の方が確実なのかもしれない
あるいはヘッドギアみたい専門分野が違う有志による共同企画とか。
でもソレじゃアニメの人材不足の解決には全くなりませんね。